INI(アイエヌアイ) 藤牧京介といえばグループのメインボーカル。
高い歌唱力を持っていることで知られていますよね。
そんな藤牧京介、INIとしてデビューする前は実は会社員をしていたようです。
となると、どこの会社か、どんな仕事をしていたのか気になりますよね。
そこでINI(アイエヌアイ) 藤牧京介が勤務していた会社ってどこか、福祉用品の営業のお仕事をしてたという噂は本当か、徹底調査してみました。
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介が勤務していた会社ってどこ?
まず、INI(アイエヌアイ) 藤牧京介が勤務していた会社ってどこなのでしょう。
そもそも藤牧京介が会社員をしていたということ自体が驚きですよね。
藤牧京介の誕生日は1999年8月10日。
INIがデビューしたのは2021年6月。
つまり22歳になる年にデビューしたのです。
22歳というと、大学に通っていたら4年生ですよね。
そして最近は大学在学中にオーディションに参加する人が多くいます。
だからこそ、この年齢で元会社員というのに驚きなんです。
まあ、中には会社員を経てデビューした人もいますけどね。
しかも藤牧京介といえばグループのメインボーカルで高い歌唱力があります。
そんな人物が今まで普通の会社員をしていたなんて意外ですよね。
だって藤牧京介はオーディションを受けるまで歌もダンスも未経験だったからです。
そんな人が勇気を出してオーディションに参加するということは何があったのでしょう。
ということで、藤牧京介の簡単な経歴を調べてみました。
藤牧京介は本格的に歌のレッスンをしたことはないようですが、歌うこと自体は以前から好きだったようです。
実は高校の文化祭ではバンドのボーカルをしており、会社員になってもTikTokで「うた」という名義で歌う動画をアップしていました。
この「うた」というTikTok、かなり有名だったようです。
人気があり、フォロー数もかなりの数だったそう。
しかも実はINIのメンバーである高塚大夢はそんな「うた」のフォロワーだったそうです。
SNSでしか繋がっていない2人が出会って、グループになるなんてすごいですね!
でも高塚大夢がフォローするのもわかりますよね。
藤牧京介の歌声はのびやかで、高く、ボーカルとして魅力がありますよね。
この「うた」名義でのTikTokのフォローが多かったおかげで、藤牧京介はオークションに参加したのではないでしょうか。
高校を卒業して会社員になったということは歌に関心はありつつも、一度は夢を諦めたのでしょう。
まあ、好きな歌を活かして仕事に就くなんて夢のまた夢という感じがありますからね。
でも夢を捨てきれずに、TikTokで活動をしたところ、自分を応援してくれる声に気づいてオーディションに参加する気になったのではないでしょうか。
少しでも応援の声があると自信がつきますからね。
確かに藤牧京介の歌声って埋もれさせるには惜しすぎます。
その実力はオーディション時だけでなく、グループ曲でも発揮されていますよね。
さらに、flumpoolの「君に届け」や宇多田ヒカルの「First Love」をカバーをしていました。
「First Love」 は5月に開催されたLAPONEエンタテインメントの合同コンサート「LAPOSTA 2023」でJO1の與那城奨とともにユニットで披露していましたよね。
その歌声は圧倒的でした!
見逃したという人はYouTubeでも公開しているので、もしまだ見ていない人は是非見てみてくださいね。
flumpoolも宇多田ヒカルも男性では難しい高音の曲ですが、それをかすれることなく綺麗に歌い上げています。
こんな実力があるからこそ、オーディションで生き残ったんだとわかりますね。
だからこそ普通の会社員だったことが本当に驚きなんですよね。
では、そんな藤牧京介が勤めていた会社ですが、出身が長野県なのでおそらく地元の会社だと思われます。
そこで藤牧京介は福祉用品の会社で働いていたそうです。
長野県内の福祉用品の会社を調べてみると、数多くの会社があったので絞ることはできませんでした。
ということで、藤牧京介が実際に働いていた会社はどこかはわかりませんでした。
ただ、藤牧京介が長野県佐久市出身なのではないかという噂があり、もしかしたら勤務先も佐久市の会社かもしれませんね。
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介が福祉用品の営業するって本当
それではINI(アイエヌアイ) 藤牧京介が福祉用品の営業をするって本当だったのでしょうか?
結論からいうと本当です。
藤牧京介はINIとしてデビューする前に福祉用品を扱う会社で営業マンとして働いていたそうです。
あんなイケメンが営業マンだなんてすごい会社ですね。
営業先ではかなりモテたのではないかななんて考えちゃいます。
でも、INI誕生となった「PRODUCE101 JAPAN SEASON2」に参加するため、仕事はやめたそうです。
仕事を辞めてから参加するなんて、相当の覚悟だったんでしょうね。
高卒で会社員になったのなら、社会人としては3年目だったはずです。
会社にも慣れて、営業マンだったというのなら顧客とも顔見知りだったはずです。
そんな環境を振り切ってまで挑戦するのはかなりの勇気がいりますよね。
もしオーディションで受からなかったら、辞めた会社には2度と戻れないですし、新たに仕事を探さないといけません。
つまり安定した環境を捨てて臨んだということです。
そんな覚悟を持って挑戦したんですね!
でも高い歌唱力があっても、おそらくはかなり不安だったと思います。
というのも参加者メンバーの中には歌唱力が高いメンバーもおり、しかも藤牧京介はダンス未経験で、オーディションを勝ち抜くためにはレッスンで実力を身につける必要がありました。
オーディション中のそんな努力も実り、見事合格になったのです!
ちなみに藤牧京介といえばメンバーの中でも落ち着いていてトーク力がありますよね。
これこそまさに社会人経験が生きているのではないでしょうか。
そして、このトーク力こそ、会社員時代に学んだ力のようです。
藤牧京介はラジオで接客業をしていたと告白していました。
そのため、トークが上手いようですね。
そんなトーク力を活かして、今後も活躍してくれるのではないでしょうか。
楽しみです。
まとめ
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介が勤務していた会社ってどこか、福祉用品の営業のお仕事をしてたという噂は本当か、まとめました。
・藤牧京介が勤務していた会社は長野県内の福祉関連会社。
・会社員時代にTikTokで「うた」名義で人気があった。
・営業マンとして接客をしており、それを今のトークに活かしている。
藤牧京介が勤務していた会社がどこかまではわかりませんでしたが、相当の覚悟を持ってオーディションに臨んだのがわかりましたね。
それほど歌を諦めきれなかったということなのでしょう。
でも、その甲斐あって今のINIがあるんですよね。
ほんと、オーディションに参加してくれて良かったです!
また、会社員時代に学んだことを今も活かしている藤牧京介にはびっくりです。
だからこそ、今後のさらなる活躍の場を広げていくのではないでしょうか。
今後の活躍を期待しています。