INI(アイエヌアイ) 藤牧京介といえばグループのメインボーカルとして高い歌唱力がありますよね。
そしてデビュー前は会社員経験もあるという異例の経歴の持ち主!
そんな藤牧京介に高校球児だったのではという噂があります。
そこで、INI(アイエヌアイ) 藤牧京介は上田西高校出身なのか佐久平総合だったのか、高校時代の野球部やエピソードについても徹底調査してみました。
目次
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介は上田西高校出身?
まずはINI(アイエヌアイ) 藤牧京介は上田西高校出身なのか、みていきましょう。
そのために藤牧京介のプロフィールについても簡単にご紹介します。
出身:長野県
生年月日:1999年8月10日
身長:168cm
藤牧京介は自身のプロフィールで長野県出身と公表しています。
市町村については公表はされていません。
そして高校卒業後は介護商品を扱う会社で営業マンをしており、オーディションを受けるために会社を辞めて挑戦したそうです。
そこで見事、最終選考まで残り、INIのメンバー入りを果たしたのです。
では、出身高校はどこだったのかというと、上田西高校という噂が濃厚なようです。
長野県の上田西高校というと地元では有名校の一つです。
というのも部活動が盛んな高校であり、甲子園に出場する高校としても知られているからです。
でもちょっと意外ですよね。
というのも、藤牧京介といえば圧倒的なボーカル力で有名ですよね。
しかも高校では音楽部に所属し、文化祭ではバンドのボーカルもしていたほどです。
この高校時代に歌の魅力に引き込まれたのか、バンドを組んで、文化祭ではそんな藤牧京介のボーカルを聴きに来る人も多かったとか。
地元ではすでに有名だったようですね。
そんな人物が野球で有名な高校に通っていたなんて予想外だったという人も多いのではないでしょうか。
でも、これにはちょっとした理由があるようです。
詳しくは後述でご紹介します。
佐久平総合って噂は?
それでは佐久平総合って噂は何なのでしょう?
おそらくこれには藤牧京介の出身と高卒で会社員になったという経歴が関係しているのではないでしょうか?
藤牧京介は長野県出身で、どの市町村出身かまでは公表していませんが、おそらく佐久市という噂が流れています。
そして佐久平総合高校は佐久市に位置しており、市内出身であれば通いやすいと考えられるからです。
しかも上田西高校は私立ですが、佐久平総合は公立校で経済的にも通いやすいというメリットがあるのです。
藤牧京介は高卒で会社に入社したことを考えると、学費的にも安い方が良かったのではないでしょうか。
そんなことから出身校の候補として佐久平総合があがっているようです。
さらに佐久平総合って選択する科によっては色々な資格を取得できる技術高校なんです。
例えば、農業科では「食品衛生責任者」や「2級ボイラー取扱者」、「初級バイオ技術者」などの資格取得が可能です。
工業科では 「技能検定2級・3級(普通旋盤、機械検査、シーケンス制御)」、「製図検定」、「基礎製図検定」など。
創造実践科では 「小型車両系建設機械運転技能講習」、「フォークリフト運転技能講習」などを受けられます。
つまり高卒で専門職などに就くために必要な資格が取れるんですよね。
そして藤牧京介は高卒で会社員になったぐらいなので、佐久平総合でこのような資格を取得したのではないかと考えた人もいるようです。
確かに最近は高卒で普通の会社員ってあまり聞かないですからね。
何か専門的な資格を取ったと考えたんでしょうね。
しかも藤牧京介はINIのファン向け動画で「高校で年1回牛の乳搾りと餌やりがあった」と公表していたことがあり、農業科のある佐久平総合が有力視されたこともあったようです。
でも藤牧京介の場合は佐久平総合ではなく、上田西高校に通っていたという噂の方が濃厚なようです。
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介は野球少年だった?
次にINI(アイエヌアイ) 藤牧京介は野球少年だったのかについても、みていきましょう。
実はこれが出身高校に関係してきます。
前述の出身校での部活について、藤牧京介は音楽部だったと説明しましたが、実はこの音楽部に入部したのは高校時代の途中からなんです。
では高校1年生の時にどんな部活動をしていたのかというと、野球部なんです!
実は藤牧京介は小学校の時から野球に打ち込んでおり、上田西高校に入学したのも野球をするためだったんです!
野球の強豪校に進学した理由はこれだったんです。
つまり高校入学時は音楽にはそれほど興味がない、野球少年だったんです。
そして高校1年生の時には実際に甲子園に行っています。
ただ、1年生ということもあり、レギュラーではなくベンチ入りもしなかったそうです。
ではそんな野球少年がどうして野球部をやめ、音楽部に入ったのかというと、EXILEのライブを見に行ったことがきっかけでアーティストになる夢ができたそう。
つまり、このライブに行かなければ、もしかしたら野球を続けて、そのまま甲子園に行っていたかもしれません。
夢ができたことで野球部をやめ、バンドを組み、ボーカルとして活躍するようになったんです。
今の藤牧京介のボーカル力からは野球少年だったなんてイメージができませんが、実話なんですね。
では、どうして高卒で会社員になったのかというと、早く自立したいという思いもあり、一度は夢を諦めたそうです。
きっとご家族のことを考えた決断だったんでしょうね。
そんな家族思いの一面を知ると、さらに応援したくなりますね。
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介の高校時代のエピソード
では、そんなINI(アイエヌアイ) 藤牧京介の高校時代のエピソードをいくつか挙げてみましょう。
高校1年の時には野球部でしたが、高校3年生だった2017年には、個人でライブハウスとやり取りをしてライブ活動をおこなっていたとのこと。
そのため、地元ではかなり有名だったそうです。
髪も今では落ち着いたカラーですが、当時はバンドを組んでいたこともあり、金髪だったようです。
そのことから元ヤンなんて噂もあります。
さらに当時は未成年飲酒だったのではなんて画像もネットにはアップされています。
しかし、画像は複数での宴会のような感じで、お酒も置いてありますが、藤牧京介がそれを飲んでいた証拠にはなりません。
そのため、本当に元ヤンかどうかというのはわかりませんでした。
それでも、高校時代の学園祭ではバンドを組んでRADWINPSの「君と羊と青」などを演奏し、藤牧京介がボーカルを務めると、学園祭には藤牧さんの歌声を聞くためにかなりの人が集まってきていたそうです。
つまり、当時から藤牧京介のボーカルには人を惹きつける力があったということですよね。
元ヤンなんて噂もありますが、もしそれが本当だったとしてもそれは過去のこと。
今は自分をサポートしてくれた人やファンのために歌ってくれているので、今後も応援していきたいと思います!
まとめ
INI(アイエヌアイ) 藤牧京介は上田西高校出身なのか佐久平総合か、高校時代は野球部、さらにエピソードについてもまとめました。
・出身校はおそらく野球強豪校の上田西高校。
・高校の農業体験から佐久平総合という噂もある。
・高校1年までは野球少年だったが、EXILEのライブをみてアーティストを目指すようになった。
・元ヤンだったという噂もあるが、当時からボーカル力には定評があった。
意外にも藤牧京介は高校球児だったんですね。
でも文化祭で人を集めるほどの有名人だったというエピソードも今では納得です。
あの歌声って人を魅了しますもんね。
今後もそんな歌声を生かした活躍を期待しています。